歩くように、ゆっくりと。

自閉症スペクトラムを持つ私の何気ない日々

反省するタイミング

 

こんにちは。

きららです。

 

長い時間、ブログが書けませんでした。

環境の変化や家族と自分、親しい人との自分との関係性に悩み、

そちらに全ての意識を使っていたという感じです。

まだまだ解決の糸口は掴めませんが、

このままでは切り替わらないと思い、またブログを書いています。

 

7月は苦しいことが多かったです。

自分が嫌だと感じたことを嫌だと気づけない、または言えない苦しさやわからないことを聞けないこと、大量の自責や反省の時間に囚われていました。

 

その中で、やはり大切だと感じたのは、

特に自分を責めやすい人なら分かることと思いますが、

過剰な反省をしない事だと思います。

フラッシュバックのように自分のやったこと言ったことが出てくるのですが、

評価しないことにしました。

何も、自分のことを指摘しないでおくことにしました。

「ああ、そんなことしたなぁ」くらいです。

私が思ったからやったのだし、思わなくてもなってしまったのなら

しかたないことなのだと思うようにしました。

 

本当にいけないこと、なおさなきゃいけないことは必然と指摘されたり、

気付いたりするものだと思うのです。

言ってもらえない時ももちろんありますが、客観的に自分をかえりみることと

反省はまた違うものなんだと切り分ける事にしました。

 

自分を攻撃するのをやめた事で、思考の波も緩やかです。

ただし、一人になっている時にしかこれが実行できていないので、

誰かと一緒にいても、自分を保てるようになりたいと思います。

それにはまだまだ先のようですが、ゆっくり、ゆっくりですね。

 

 

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

ではまた。

 

 

 

極端な買い物の仕方

 

 

こんばんは。

きららです。

 

今日は、自分の買い物の仕方について書こうと思います。

 

私はお金を使うことが極端になりがちです。

もともとお金を使うことが怖く、どんどん使ってしまわないかということに意識を

置き過ぎて、必要なのに買い物をしない、お金を使わないことが多いです。

逆に必要ではないものにお金を使ってしまうことも多々あります。

 

今までも散々書いてますし、日常生活どれもそうなのですが、

「ちょうどいい」にならないのです。

 

また何度も買おうとしてしまう癖もあって、自分でも困っています。

例えばサンダルを一足買うと何故か二日、三日後にスポーツシューズを

買おうとしているのです。

 

靴を買うことができると、「靴を買えた」というルーティーンができてしまい、

同じようにルーティーンをこなそうとしてしまうようです。

 

何か買えるたびに同じものではないけれど種類が違うものを

近い時期に繰り返して買おうとするので、本当に必要なものが買えなかったり、

見えなくなってしまったりします。

 

最近はケイタイのメモやスケジュール帳に買う必要があるものを書くのですが

何故か購入できなかったりします。

 

これを踏まえて色々考えてみると、

どうやら買い物をする行為自体に慣れていないのではないかという結論になりました。

ルーティーン化しやすいということは多方面での買い物に慣れていないからで、

買うことに対する恐怖心などもあり、一度買えてしまうと達成感と安心感で

似たようなものを購入しようとしてしまうのではないかと。

 

お金は大切で、やはり容易に買い物はできないので、

いきなりいろんなものを買う練習は難しいですが、

思い切りも必要だなと思いました。

 

本当に必要なものを買う。

色々考えますが、失敗してこそだと最近は思えることも増えたので、

あれ、なんか違ったかも・・・?を恐れないで、行動しようと思います。

 

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フラッシュバック

 

こんばんは。

きららです。

 

 

また時間が空いてしまいました。

ちょっと疲れてます。

何か新しいことを始めるとすぐ体に出ますね。

内臓や呼吸に現れる時は、複雑化していて、判断がつきにくいです。

今回はフラッシュバックについて書きたいと思います。

 

私のフラッシュバックの現れ方は、映像や音声のみ、絵のみなど様々です。

特に深く傷ついたもの、忘れ去りたいもの、

何度も何度も繰り返し現れて、見せられることはつらいです。

 

辛い時は、ある程度書き出すことがいいと

思っているのですが、フラッシュバックが

頻繁だと、思考が流されやすくて

集中出来ずに、もやもやしてしまうことが多い気がします。

同時進行が難しい影響もあるのでしょうか。

書くことも忘れて、苦痛に耐えることに意識が

いってしまうような感じです。

疲れでやる気が失われているせいもあるようです。

 

 日にち薬という言葉がありますが、そういうのも必要なのだと思います。 

さっと切り替えられる時、ゆっくり切り替えられる時、様々な場合があるのです。

 

私は自分の過去のデータを分析したり、比較したりしながら、

今の自分を見失わないようにしているのですが、

どうしても過去のデータにないことがやってきます。 

 私の場合、フラッシュバックはそういう時に頻発しているような気がします。

まさしく脳の障害といいますか、不具合が起きているような感覚がします。

 

こうやって書いていると、冷静になってきて、

フラッシュバックを受け入れることも大切だと思えてきました。

誰かに分かってもらえたらとても嬉しいのですが、

そういう仕様なのだと理解してあげると、

強く身構えたり、異常な拒否感に苦しまなくて済むのではないかと・・・。

まだまだ道のりは長いですが、そうも思ったりします。

 

振り回されてばかりですが、冷静に見ている自分がいることのおかげでもあるので、

結構、頑張ってるじゃないかと自分を褒めたいと思います。

 

 

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

ではまた。

 

 

 

家事のこと

 

こんばんは。

きららです。

 

最近暑いので、すぐへろへろになってしまいます。

皆さんは、いかがでしょうか?

 

 

私は実家暮らしなのですが、とにかく家事をどう手伝えばいいのか

分からなくて、なかなか手伝ったり、家事を担当することができず

家族ともギクシャクする感じが長い時間ありました。

 

そもそも何をすれば手伝いなのか、家事をしたことになるのかが想像つかないのです。

自分が掃除がなかなかできない時と一緒だと思いました。

周りに相談をしてみたところ、「掃除」のイメージはついているので、

掃除関係でやってみてはどうかと言われました。

 

そこで「お風呂掃除」をやってみようと考えました。

 

あとは、何をどうすればいいのか何を大切にし、どうすれば終わりなのかを

明確にしてどうやって掃除をどうやっているのか実際に家族に見せてもらました。

横でメモを取り、見たことと作業内容を一致させました。

これだけで、すごくできそうな気持ちになったのです。

安心感が、やる気を出しているのだと思います。

 

しかし実際にやってみると、思っていたよりややしんどいなと感じました。

想像と現実を近づける作業が少し苦手なのかもしれません。

そして、毎日続けるという目標が余計に自分を苦しめてしまいました。

やりたくないなぁと思ってしまうことも増えてきて、それに凹んでしまうことで自信が

なくなってきていました。

 

続けるには、頑張りすぎるやり方では良くない。

少し、目標を変えてみよう。

毎日ではなく、月に何回出来たら良い、と回数を決めてみました。

出来ないと感じた時は、家族にお願いすることにしました。

 

この目標を変えたことと、ダメな時はお願いするという方法で

お風呂掃除は、今でも続けられています。

今後は少しずつ洗濯や食器洗いなども続けられるようになればと、考えています。

 

 

自立に向けて考えると家事は必須だと思います。できるようになりたいです。

 

日々家事をこなされている方は、本当にすごいと思います。

毎日続けることの大変さも、複数ある家事をこなしていくことも

少し自分ができるようになって初めてわかりました。

家族に感謝しながら、できることを増やしていきたいです。

 

 

 

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

では、また。

 

 

 

 

 

5月になりましたね

 

こんばんは。

きららです。

 

 

久しぶりの更新です。

4月は色々とあって、疲れてしまいました。

GWは、ゆっくりとして、またブログも頑張りたいと思います。

また掃除がおろそかになっているので、意を決して取り組みます。

 

 

5月になったばかりなので、5月の目標を考えてみました。

 

 

・新しいことにたくさん取り組むので、休み方に注目する

・自分の苦手さ、辛さ、困り具合を周りの目を気にせず、伝える

・一つ、作品を仕上げる

 

 

この三つを目標にしてみようと思います。

新たな休憩の仕方や、伝え方が見つかるといいなぁ。

作品も完成させたいので、計画を立てながら無理せずに頑張りたいと思います。

 

 

 

短めですが、ここまでにします。

 

読んでいただいてありがとうございました。

では、また。

 

 

 

 

 

褒められた記憶

 

こんにちは。

きららです。

 

 

小さい頃、皆さんは褒められた!と感じる記憶はありますか?

 

 

私は残念ながら、あまりありません。

親は、私を褒めたというのですが、記憶にはありません。

というのも、親は「無理しなくていいんだよ」「あなたは元々頭が良い」という言葉を連発していました。

私が頑張っていることは感じていたようですが、

とても頑張ってしまうことが気がかりすぎて、何故頑張っているのかはわからなかったようです。

 

私は、親に認めてもらいたかったのです。

 

ただ、頑張れば頑張るほど親は心配し、褒める言葉からかけ離れていくばかりでした。

むしろ親は自分自身と比べてしまい、皮肉にも取れる言葉を私にかけてしまっているように感じました。

 

「よくできたね」「頑張っているね」「一生懸命だね」

 

このような言葉は、心配や別の気がかりに隠れて見えない言葉となって私に伝えられていたようです。

 

「褒め言葉」はとても大事だと思います。

当たり前にこなせないことが多い私にとっては、褒められることは自信につながります。

「褒める」と思った時は、はっきりどこが自分から見て素晴らしいと思ったかを

表現する方がいいと感じました。

言葉をそのまま受け取ってしまうことが多いので、せめてプラスの言葉は、

わかりやすくちょっと大げさくらいが嬉しいな、なんて思います。

 

しかし、最近思うことは他人にかけられる褒め言葉を求めすぎることも、

逆に不安感を強めるのではないかと感じています。

 

自分が素晴らしい、よくできた、これでいいんだ!と思うことは、

他人の賞賛を浴びるより素晴らしいことなんだ、とも感じるようになりました。

 

自己肯定感を上げていくには、何をすればいいんだろうとずっと考えているのですが、自分ではない誰かに褒められたり、言動を認められたり、

自分が自分をしっかり賞賛することのバランスがとても大事なんだと思います。

 

 

 

ここまで書いていてふと、これを過去の自分がこれを読めば、

この話は綺麗事だ、というだろうなぁ。

認められる場所がない、褒められもしない、そんな状態の自分をどう賞賛すればいいのか。

きっと腹立たしくなると思います。

 

過去の自分に声をかけるとするなら、それでいいと言いたいです。

思うままに腹を立てて「認めてもらいたかった!」と叫ぶ力や言葉を、

ここぞという時にしっかり放つ。そのための準備だと思います。

相手は何も変わらないかもしれないけれど、自分の意識は何か変わるかもしれない。

 

 

なんだかできているように書いてしまいましたが、

絶賛落ち込み中です。

自信なんてなくなって、他人を攻撃しようとばかりしています。嫌なやつです。

なのに、もうひたすらに褒められたいです。

存在を認めて欲しいです。

「あなたはすごい!」って。

 

だからこそ、こういう考え方もしていたなぁと思い出すために書いてみました。

すぐ忘れてしまうんですよね。

 

 

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

それでは、また。

 

 

 

 

衣替えのタイミング

 

こんばんは。

きららです。

 

 

衣替えの時期ですが、(もうとっくに終わってる時期かも…)

私はどのタイミングで衣替えをしていいのかわからないのでまだしていません。

 

過去に衣替えのタイミングが合わなくて、親に見通しのない突然の

「衣替えしよう!」の声かけでパニックを起こしたので、さてそろそろ時期だな

と思うたびにパニックを思い出します。

 

自分の感覚で、そろそろ暖かくなるから、寒くなるから、と服を取り出して

整理して、入れ替えるという作業はなかなかやる気が起きないです。

 

地域ごとに「さあ、〇〇日までに衣替えを!」とか具体的な日をテレビとか

天気予報の時に、言ってくれないかなとか思ってみたりもします。

時期外れの服装もよくしてしまうので、嬉しいんですけどね。

 

自主的に動く予定を自分で設定するって、結構難しいです。

相手がいる方が目安や見通しを聞けるので、動きやすいのかもしれないです。

 

自分で考えて動く練習だ!と言い聞かせながら、衣替えの予定日を天気予報を見ながら考えます。

 

 

 

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

では、また。