褒められた記憶
こんにちは。
きららです。
小さい頃、皆さんは褒められた!と感じる記憶はありますか?
私は残念ながら、あまりありません。
親は、私を褒めたというのですが、記憶にはありません。
というのも、親は「無理しなくていいんだよ」「あなたは元々頭が良い」という言葉を連発していました。
私が頑張っていることは感じていたようですが、
とても頑張ってしまうことが気がかりすぎて、何故頑張っているのかはわからなかったようです。
私は、親に認めてもらいたかったのです。
ただ、頑張れば頑張るほど親は心配し、褒める言葉からかけ離れていくばかりでした。
むしろ親は自分自身と比べてしまい、皮肉にも取れる言葉を私にかけてしまっているように感じました。
「よくできたね」「頑張っているね」「一生懸命だね」
このような言葉は、心配や別の気がかりに隠れて見えない言葉となって私に伝えられていたようです。
「褒め言葉」はとても大事だと思います。
当たり前にこなせないことが多い私にとっては、褒められることは自信につながります。
「褒める」と思った時は、はっきりどこが自分から見て素晴らしいと思ったかを
表現する方がいいと感じました。
言葉をそのまま受け取ってしまうことが多いので、せめてプラスの言葉は、
わかりやすくちょっと大げさくらいが嬉しいな、なんて思います。
しかし、最近思うことは他人にかけられる褒め言葉を求めすぎることも、
逆に不安感を強めるのではないかと感じています。
自分が素晴らしい、よくできた、これでいいんだ!と思うことは、
他人の賞賛を浴びるより素晴らしいことなんだ、とも感じるようになりました。
自己肯定感を上げていくには、何をすればいいんだろうとずっと考えているのですが、自分ではない誰かに褒められたり、言動を認められたり、
自分が自分をしっかり賞賛することのバランスがとても大事なんだと思います。
ここまで書いていてふと、これを過去の自分がこれを読めば、
この話は綺麗事だ、というだろうなぁ。
認められる場所がない、褒められもしない、そんな状態の自分をどう賞賛すればいいのか。
きっと腹立たしくなると思います。
過去の自分に声をかけるとするなら、それでいいと言いたいです。
思うままに腹を立てて「認めてもらいたかった!」と叫ぶ力や言葉を、
ここぞという時にしっかり放つ。そのための準備だと思います。
相手は何も変わらないかもしれないけれど、自分の意識は何か変わるかもしれない。
なんだかできているように書いてしまいましたが、
絶賛落ち込み中です。
自信なんてなくなって、他人を攻撃しようとばかりしています。嫌なやつです。
なのに、もうひたすらに褒められたいです。
存在を認めて欲しいです。
「あなたはすごい!」って。
だからこそ、こういう考え方もしていたなぁと思い出すために書いてみました。
すぐ忘れてしまうんですよね。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
それでは、また。